ワイズは、数カ月先の“成長した自分”の姿を想像できる導きがあり、将来の夢に必要なことを学べる環境でした

ワイズ訪問看護リハビリステーション調布・元管理者
泉田絢美さんインタビュー


訪問看護の仕事だけでなく、ワイズ訪問看護リハビリステーションの管理者としてスタッフのマネジメントにも携わってきた泉田さん。「独立して自分の訪問看護ステーションを持ちたい」という夢を実現させるため、新たなスタートを切った泉田さんに、ワイズ時代のお話をうかがいました。


看護師として、10年以上のキャリアがある泉田さんですが、最初に看護の道へ進もうと考えたきっかけは何ですか。


私の祖母が病気がちで入退院を繰り返しており、そのときの看護師さんの存在が大きかったです。祖母は脳梗塞を患い、運動機能の麻痺や言語障害がありました。

家族でも意思疎通が難しかったのですが、看護師さんが祖母に寄り添い、言葉を聞き取って対応している姿を見て、すごいなと思うと同時に、とても悔しかったんです。私は祖母のことが大好きだったので、自分が祖母の思いをなかなかくみ取れず、歯がゆかったです。


看護学校を卒業後、実際に病院に勤務されてみて仕事はいかがでしたか。


祖母の姿を見ていたこともあり、看護学校卒業後、総合病院で脳神経内科外科病棟を希望して、5年間働きました。

そこで、脳外科の患者さんの管理の難しさを感じました。例えば、くも膜下出血の患者さんだと受傷して手術し、経過を看護師が見ていきますが、患者さんの症状の変化にいち早く気づいて医師に報告、対処していかないと、麻痺が残ってしまったり、予後が変わってしまうこともあります。なぜこんなに管理が必要なのかを知りたくて、手術中の看護に興味を持つようになり、手術室勤務に移りました。

そこでは患者さんの手術前、最中、その後の状態を見ることができ、人によって術前術後に大きな差があると実感しました。

骨折や眼科の手術の場合、術後に生活の質が良くなり、患者さんの満足度も高いのですが、一方で助からない病気、手術後も苦しそうな患者さんもいます。家に帰ってから生活していけるだろうか、と気になり始め、そこから「在宅看護」への思い、興味がうっすら出てきたんです。


そこから訪問看護の道に進もうと決心したきっかけは何ですか。


ベースにあったのは、10年間、自宅で祖母の介護をする母の姿を見ていたことです。

祖母は言語障害や麻痺、食べ物の飲み込みにくさもあったので、食事は家族とは違う柔らかいものを用意し、祖母が家の中でてすりにつかまって歩く際の歩行介助、人工透析に通うときの送り出しなど、日常の介護の様子を見ていました。

さらに、現在のコロナ禍の状況で、病院に行きたくても行けない人、受け入れてもらえない人が増え、とはいえ自宅で一人で過ごすのは難しい人もいます。そういう中で、今後必要になるのは在宅看護だろう、という思いに行きついたんです。

ワイズ訪問看護リハビリステーション、横山社長との出会いで未来図が描けた


看護師と訪問看護ステーションのマッチングを行う企業を介し、ワイズ訪問看護リハビリステーションとの出会いにつながったそうですが、最初に横山社長と話をした際、どんな印象でしたか。


それまで私は医療の世界しか知らなくて、病院の外の会社の常識に触れる機会がありませんでした。だから横山社長の話は新鮮で、この人に学びたい、一緒に働かせていただきたい、と思いました。

横山さんに言われたのは、「いいことを言うのは簡単だけど、その通りにならなかったとき、こんなはずじゃなかったと関係が壊れることがある。だから、ふだんから自分の悪い部分も見せなさい」ということ。

私も最初から自分の思っていること、将来は自分で訪問看護ステーションを運営したい、ということも伝え、それに対しても「協力できることは最大限協力するよ」と、理解を示していただきました。


実際に訪問看護ステーションで働いてみて、仕事はいかがでしたか。


やりたかったことなので、楽しかったです。病院勤務のときは、何か処置をしていても他の患者さんに呼ばれて飛んでいかなければならないこともあり、受け持ちの患者さん一人ひとりにじっくり関わるのが難しい状況でした。

訪問看護は、訪問している30分なり60分の間は、その人のためだけに使える時間です。利用者さんが何を求めているのか、言葉にできないことが大半だと思うので、その言葉にならない部分をいかに吸い上げるか、十分に聞き取りを行うことができるようになりました。


訪問看護自体が初めてで、さらに管理者というポジションを任されましたね。


訪問看護と管理者業務の両方を一緒に学んでいかなければならないと思い、最初は不安でした。

私は「人の命を預かり、心や体が弱っている人たちを看るんだから、自分がしっかりしていなければ」という思いが強く、最初は悩むことばかりでした。その都度、横山社長が話を聞いてくれて、きれいごとを言うのではなく、「はじめは20%できたら自分をほめろ」と言われてきました。

「失敗は会社にとって財産。自分が“やっちまった”と思ったら、次はどうしたらいいかという思考に切り替えて、それをみんなで共有すればいい」とも言われ、そんな経営者と一緒に働けることは幸せだと思いました。


管理者として、どのようなことを心掛けていましたか。


病棟の看護師だったころ感じたのは、自分の要望は言うけれど解決策はわからないから指示待ち、意見は言わない、自らは考えないという看護師が多いということです。

業務をやりやすくするためにちょっと発展的なことを言うと、かえって煙たがられる、という現実もありました。やれない理由ばかり探す人が多かったと感じます。

私は、スタッフに相談されたとき「それはどうしたらいいと思う?」と、まず投げかけました。たとえば「それが自分の家族だったらどうする?」とか、その人たちが身近にイメージしやすい状況を想像してもらい、意見を言ってもらう。

そのうえで「そういうのもいいね」「私だったらこうするかな」と、という会話を心掛けました。


「自分事として考える」コミュニケーションという、そのあたりは横山社長の「マネジメントはパーソナルなことだから、踏み込んで伝えないとマネジメントではない」という、“ワイズイムズ”に通じるところがありますね。


そういうことを言うと「きれいごとばかり」「いい人ぶって」と言う人もいますが、そうやって考えないとマネジメントはできないですよね。

あとは、利用者さんからスタッフのことをほめていただいたときは、「こんなふうに言われてすごくうれしかった。ありがとう」と、最大限、みんなに伝えるよう心掛けました。

ワイズで学んだことを活かして、自分の“チーム”を作りたい


ワイズで働いた1年は、どんな時間でしたか。


悩み苦しんだこともありましたが、学びしかなかったです。“訪問看護ステーションを経営するってこういうことだ”、“こういうのがマネジメントなのだ”というのを間近で見て、経験させてもらいました。

横山社長には、私が将来やりたいことを話した上で、数カ月先の自分の成長した姿を想像できる導き、道筋をつけてもらうことができました。

「こういうことをやっていくのか」「こういうことを学んでいけばいいんだ」というのが、わかりやすかったです。

また、管理者は自分一人でなんでもやってはいけない、というのを教わったのも大きかったです。

「管理者は70%くらいは、いつでも動ける容量を空けておきなさい。自分でやるのは30%で、あとはみんなにやってもらいなさい。なぜなら、何か起きたときに対応するのはあなただから」

という考えは私にはなかったので、なるほどと思いました。“いつでも余裕を持っていてね”という言葉に、救われた思いもあります。


学びの多い環境で、あえて独立を申し出たのはなぜですか。


もともと、自分が生まれ育った場所、家族が住んでいる茨城県日立市に何か貢献したいという思いがありました。

また、祖父やおじが亡くなったとき、「もう少しいい最期の迎え方があったのではないか」と感じ、地元医療の質をもっと高めたいと思ったのも大きいです。

私自身は10年以上東京に住んで、看護師として3つの病院を見てきました。患者さんが自分で「ここで治療を受けたい」と選ぶことを、東京ではできるけれどなぜ地元ではできないのかという思いが、使命感につながっているのかもしれません。

日立市で私ができること、自分が知っている医療と看護の分野で、まず貢献したいと思っています。


看護師としてステーションで働くのではなく、自分で独立したいと考える理由は何でしょうか。


以前、子どもが2歳くらいの頃、“フルタイムで働けるだろうか”と考えたときに、できるかもしれないけれど周囲に迷惑をかけるだろう、と思いました。

病院勤務のとき、子どものいる看護師はいつも周囲に気をつかって働きづらそうで、保育園からの呼び出しで仕事を抜けるのを、裏で悪く言う人もいました。

そういうのを見てきたので、自分が母親になって、“お母さんでも働ける職場を作ったらいいんじゃないか”と思ったんです。

スキルとやりたい気持ちがあるんだから、お互いに協力してやれるのではないか、というのは、自分自身の希望でもあったかもしれません。

あとは、自分で人材を集めて、“チーム”を作りたいという思いもあります。経営者としてまだまだ学ぶことがたくさんありますが、ワイズで働いて、人を育てる、マネジメントするということを十分に教わってきました。

そのおかげで、1年前には現実的には考えられなかった、訪問看護ステーションを自分で運営するということを、思い描けるようになりました。


「独立したい」と言ったときの、横山社長の反応は?


悲しそうにしていました(笑)。

「やめないでほしいけど、最初から『独立したい』というのは聞いていたから、応援する」と言ってくれました。

それからも「会社を経営するにはこういうことが必要だ」ということを教えてくれたり、経営の本を貸してくれたり。やさしいですよね。


独立に向けて、現在はどのような状況ですか。


本当は2022年4月のオープン予定で、それにはこの時期から動いたほうがいい、「こういう作業でこれくらい時間がかかるから」という横山社長のアドバイスでスケジュールを立てて動き出したのですが、子どもの保育園が決まらなくて。

それが決まって、やっとこれから動き出せるかな、という状況です。地元で働いている介護関係の人、デイサービスで働いている人から地域の状況を聞いたり、仲間づくりも意識してやっています。1年以内にオープンできたらいいなと考えています。

ワイズは、やりたいことをどんどん提案でき、実現するために力になってくれる会社


ワイズでは効率のよい働き方を奨励されているそうですね。


男性女性にかかわらず、子育て中で保育園のお迎えのあるスタッフも多く、効率的な仕事を大切にする雰囲気があります。

一人1台スマホやタブレットを持たせてもらっていたので、私は移動中に仕事の記録ができました。口頭でのやりとりだとミスが出やすいので、「ログを残す」ということを徹底しています。

また、必要なカルテを見るためにステーションに戻らなければならない、というようなことがなく、ご利用者様の情報もスマホで確認できます。仕事が休みの日も家で情報を確認でき、便利でした。

ミーティングはライン電話で行うなど、スタッフと話す時間も作りやすかったです。対面で話せるのが一番いいかもしれませんが、全員で集まりにくい状況の中でも、意思疎通が図れて情報が共有できれば、問題ないと思います。

独立後は、そういうワイズでのやり方も参考にしたいと思っています。病院だけで働いていたら知らなかったこと、これまでのやり方では無駄が多かったということに気づけたのも、ワイズで働いてよかったことの一つです。

気持ちに余裕ができれば質のいい看護も提供できますし、人にも思いやりのある接し方ができると思います。それに、家に帰ってからも笑顔が増えるかもしれないですよね。


ワイズを卒業した先輩として、これからワイズ訪問看護リハビリステーションで働く人へのメッセージをお願いします。


やりたいこと、思っていることをどんどん言っていいんだよ、という会社です。

横山社長は「思っていることを言わないのは。思ってないのと一緒。発言しないのは、やってないのと一緒。だから自分の意見は言いなさい」と言います。その意見をちゃんと聞いてもらえて、見ていてくれて、評価してくれる会社です。

「これでいいんだ」「こうすると喜ばれるんだ」「自分はこの会社に貢献できているんだ」と実感でき、いままでの自分の考え方がガラリと変わると思います。

“こうしてみたい”という思いがある人、これまで思いがあってやってきたけれど、聞いてもらえる環境ではなかった、という人にとって、やりがいのある会社だと思います。


泉田さんが作る訪問看護ステーションを楽しみにしています。

本日はお時間を頂き、誠にありがとうございました。